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Cute Movies

ルワンダの涙 記者会見報告

監督:

◆『ルワンダの涙』http://r-namida.jp
2007年1月27日(土) TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国順次ロードショー
【来日・チャリティ試写会発表記者会見】 
日時 1月17日 午後3時より 場所:国連大学ビル内 UNハウス 

【コメント】

ジャン=ピエール・サガフツ 氏
今回、『ルワンダの涙』の制作に参加したが、この作品に限らず、アフリカで起きている事を取り上げた作品には進んで参加したいと思います。
「ルワンダ大虐殺」を私の言葉で伝えるのは難しい。また、映画で伝えきることも難しいでしょう。
しかし、映画というメディアから世界で起きている事実に事実に少しでも興味を持ち、いけない事と知り、自分には何が出来るかを考えてほしい。私は子供達にツチとフツの違いには意味のないことだと教え、私達は皆ルワンダ人だと言っています。
植民地時代に民族認識カードが導入され、権力者にうまく利用され、虐殺も何度も起きてしまいました。
今は民族の差別もなく、平等だが、この偏見がなくなるのに何十年と時間が必要でしょう。

ジェームス・M・スミス 氏
当時、私はイギリスで世界の歴史から再び起こさないことを学ぶホロコーストセンターを創ろうとしていました。
94年、テレビでこの事件を知った時、正直に言うと、遠い国のことでとも愚かだと思い、この悲劇が何十年もかけて起こるということを理解していませんでした。事件の後にアフリカのいたるところで民族浄化が起こり、このような虐殺を繰り返してはならないと思い、イージス・トラストを設立することになりました。だから多くの人に事実をして欲しいです。この作品によってルワンダのことを知ってもらい、また世界のリーダーに対しても人類の犯罪から市民をどう守るのか、また命の尊さを伝える貴重な機会を得ることが出来たと思います。UNHCRの方々の協力を本当にありがたく思います。

ベアタ・ウワザニンカ氏
私は14歳の時にこの体験をしました。生活の中でもツチとフツは差別されていましたが、虐殺が起こるとは信じられませんでした。民族認識は、まるでナチのように行われたと聞いています。それぞれの目の色、肌の濃さ、顔立ちや体型で区別されました。
しかし、1970年、1980年にはツチとフツの両部族の結婚も多く、混血が増えました。それでも、94年の事件は混血を無理やり分け、殺害しました。また、フツ族の穏健派も多く殺されました。
私は民族など関係ないと思います。みんな違うから面白い。皆が平和でいることを願います。

キリル・コニン氏(UNHCR チャリティ試写会発案者)
私はUNHCRの難民映画祭を催しております。去年の7月に初めて映画祭を行いました。この映画祭は、難民を取り上たげた作品や、難民の方々が作った作品を上映することで、多くの方に世界のことを知って頂くために行っております。
今年の7月にも行う予定なのですが、この『ルワンダの涙』はこの主旨に合っています。国連親善大使のアンジェリーナ・ジョリーも言っていますが、世界のこと、避難民のことを、どういうものなのかを理解してもらうには映画は大切な手段だと思います。


◆また、『ルワンダの涙』が技術学校を舞台にしており、作品の内容が、今問題視されている「いじめ」にも精通しているということで、都内の淑徳高等学校の生徒さんも記者会見に参加してくださいました。

高校生からの質問

「この作品は、当時の事を詳細に描かれていますが、参加しているとき辛かったことはありませんでしたか?」

【コメント】

ジャン=ピエール・サガフツ 氏
私の場合、この作品で描かれていることの何百倍も悲惨でした。
空っぽだった汚水層で14週間隠れ、やっと出られたかと思うと外は死体の山でした。
出てから家族が殺されたことを知り、母は背中から銃で撃たれたと聞き、この作品に参加したとき、何度も母を思い出して辛かったよ。この作品を君達のような若い人達にぜひ観てもらいたい。
今日は来てくれてありがとう。

ベアタ・ウワザニンカ氏
エキストラとして参加していると、記憶がよみがえり辛かった。
特に女の人が赤ちゃんを抱いて逃げようとしているシーンは、母を思い出しました。
母は子供を抱いたまま、村の若者たちに川で殺されたから。
虐殺が行われる時、女性はいつも弱い立場にさらされます。女性は殺される前にレイプされてから殺されます。
レイプは虐殺行為の一つです。生存したとしても、HIVに感染し、命を失う女性はたくさんいます。また、家族を失ってしまった未亡人達は、生活する術も、生きる希望も失いました。


◆来日プロフィール

・ジャン=ピエール・サガフツ
JEAN PIERRE SAGAHUTU
映画には輸送班主任として参加。エンドロールの最初から2番目に登場。
ルワンダ人 ツチ族 男性/1962年9月12日 ルワンダ生まれ 44歳
現在も虐殺、そして映画のロケが行われたルワンダのキガリで生活。
虐殺で両親、姉妹3人、兄弟4人を殺された。本人はある家の汚水槽に14週間隠れ続け、殺害を免れた。
虐殺が止みようやく出られた時には、彼は自分の膝の高さに死体が積み重なっている道路を歩き回ったという。そしてこの『ルワンダの涙』の撮影をしているある日、彼は自分が今、昔隠れていたあの家の横にいて、あの日歩いたのと同じ道路の上に立っているのに気づくという衝撃的な経験をする。それでも彼はその場に留まることを選択し、最後まで映画に携わった。
映画に参加した経緯、参加することにどんな意義を持っていたのか、現在のルワンダを語れる人物。

・ジェームス・M・スミス JAMES・M・SMITH  (スーパーバイザー)
世界の内紛問題などを追うジャーナリストでもあり、大虐殺への人道支援、研究などを目的として設立させれたルワンダのキガリに本拠地を構えるチャリティ団体“Aegis Trust”の創設者。『ルワンダの涙』ではプロデューサーでもあり発案者のジャーナリスト、デヴィッド・ベルトンと共に現場に携わり、スーパーバイザーとして参加。エキストラ出演もしている。
ドクターでもあり、ルワンダの現状や幅広いアフリカの大虐殺、内紛の知識もち積極的な活動をする人物。ツチ族の女性、ベアタさんと結婚している。
チャリティ団体“Aegis Trust”web (英) http://www.aegistrust.org/

・ベアタ・ウワザニンカ  Beatha Uwazaninka
ルワンダ人 女性 ツチ族 虐殺の経験者 今はジェームス・M・スミスの妻。
映画の中では“ルワンダを見放した西洋諸国”の現実に基づき、白人とルワンダの人々の立場ははっきりと線引きされていることが描かれていたが、その白人の夫と結ばれた女性。虐殺の経験者というだけでなく、女性という観点、そしてルワンダと西洋諸国の間に立つ人物としての話を期待できる。
text by...  たるぴ

2007/02/02