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豊島の歴史再発見「旧鎌倉街道」を歩く

2008/08/26

鎌倉街道は、幕府鎌倉と諸国の国府を結んだ中世の道。都電荒川線「鬼子母神前」駅から「面影橋」駅へ続く道は、区内でも名残ある「旧鎌倉街道」として知られている。NHK大河ドラマ『義経』が注目されている中、地元・豊島区の中世の道を歩いてみよう!
旅は都電荒川線「鬼子母神前」駅から始まります。
旅は都電荒川線「鬼子母神前」駅から始まります。
目白通りをわたって「宿坂」へ。
目白通りをわたって「宿坂」へ。
旧鎌倉街道沿いの憩いの広場。
旧鎌倉街道沿いの憩いの広場。
「根生院」へ続く道。
「根生院」へ続く道。
「金乗院」前の宿坂
「金乗院」前の宿坂
徳川家康によって江戸が開府される以前に、武蔵野には鎌倉から東北にいたる「鎌倉街道」が通っていた。豊島区内では、都電荒川線「鬼子母神前」駅から目白通りを渡り「面影橋」へ向かう道が、その古い道の一本にあたるといわれている。その途中、カーブして南へ下る急坂「宿坂」は、もっとも鎌倉街道の面影を残す道だ。
宿坂は、由緒ある「金乗院(目白不動)」前の坂道。この裏には中世の頃、「宿坂の関」と呼ばれる関所が設けられていた。「宿坂の関」は、鎌倉街道の道筋にあったものと伝えられ、宿坂はその街道上の地名と考えられるが、古地図によると、鎌倉街道は現在のこの道より、やや東よりに位置している。宿坂の地名の由来には、昔、練馬方面から江戸に来るとき、ここで一泊しなければならなかったため、この名がついたという一説もある。
「宿坂の関」廃止後は、ここに茶屋ができたという。往来の人の立て場であったところから「立丁場」と呼ばれた。
また、今から300年ほど前のこのあたりは、樹木が生い茂り昼間でも暗く寂しい場所だったらしい。したがって、俗に「くらやみ坂」ともいわれ、「狐狸がとびはねて、通行人を化かした」という話しも今に伝わっているほど。
『江戸名所図会』雪旦画「宿坂関旧趾 金乗院 観音像」によると、菅笠に杖の人物二人が急坂をジグザグに上る姿が描かれている。その急坂は、現在と同じようなカーブで描かれているのが興味深い。
旧鎌倉街道といわれる都電荒川線「鬼子母神前」駅から「面影橋」駅まで、秋の散策を楽しもう。この道沿いには、「宿坂」をはじめ歴史スポットが多く点在する。
まず、カーブして南に下っていくと、坂下西側にあるのが「金乗院(目白不動)」。金乗院は五百年以上の歴史をもつ古刹で、もともと文京区関口にあった江戸五色不動のひとつ「目白不動尊」が祀られている。金乗院の向かい側にある「根生院之道」という道標に沿って歩いていくと、徳川幕府の祈願所「根生院」の姿が。そして旧鎌倉街道に戻り、さらに南へ進むと左手に「南蔵院」が見える。ここは明治の落語家、三遊亭圓朝の名作『怪談乳房榎』の舞台となった寺。境内には上野の戦争で敗走した彰義隊9名を弔った首塚や、太田道灌ゆかりの地に関連した「山吹の里弁財天」と刻まれた供養塔などがある。その先、旧下高田村の鎮守「高田氷川神社」を過ぎると、散策の終点「面影橋」駅まであとひと息だ。
「金剛宝山延寿寺」といい、1636(寛永13)年に創立した徳川幕府の祈願所。幕末の老中阿部正弘の下屋敷跡に建てられた。朱塗りの山門にかつての面影が残る。1902(明治35)年に下谷より移転。現在では、庚申塔や道標、大日如来像、井筒井戸などが残されている。
正式には神霊山金乗院慈眼寺といい、真言宗豊山派の寺。16世紀の創立という。本尊は高さ5.5㎝の秘仏、金銅聖観音像。目白の地名の由来になった「目白不動尊」が祀られている。また、墓地には、我が国の公開図書館の祖といわれる青柳文蔵の墓や、慶安事件で処刑された丸橋忠弥の墓などがある。
明治の落語家三遊亭圓朝の名作『怪談乳房榎』の舞台になった寺。正式には、大鏡山薬師寺といい、室町時代の創立といわれる。境内には、馬頭観音、庚申塔、地蔵などが並び、「山吹の里弁財天」と刻まれた供養塔、阿弥陀如来像、彰義隊士の首塚などがある。墓地には江戸時代の相撲力士の墓も。
旧下高田村の鎮守。創建の時期は明かではない。落合村の氷川神社(女体の宮)に対し、素盞鳴命(すさのおのみこと)が主神であるため、「男体(なんたい)の宮」といわれた。境内には、1790(寛政2)年に鳥羽藩主稲垣対馬守が寄進した鳥居、1807(文化4)年の狛犬、高田姫稲荷神社などがある。
「面影橋」の名は、この地に住むお戸姫が美貌ゆえに次々と災難にあうのを苦に髪を切り、その姿を川面に映して身を投げたという秘話による。
新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は、通称「山吹の里」といわれている。これは太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑を借りようとしたとき、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいるとか。

この情報の出典 「まるごと池袋マガジン 池袋15’」